久しぶりにはてなダイアリーをうろうろしていて、日記がかなえる近未来を読む。
日記を書き続けていくことで、家族どうしが新たにつながったり、家族じゃない人どうしが家族のようにつながったり、ということもありそうだ。音沙汰無かった友人どうしが近況を知ることもあるし、近況を読みあううちに友人になるというのも、またありだろう。
よく、ネットでの知人とリアルでの知人は別物だ、という言い方をする人がいるが、果たしてそういう区別に根拠はあるのだろうか。ネット上にあるのは言葉だけだが、その向こうには明らかに生身の人がいるのは確かなわけで。
関わり方を区別するくらいなら、最初から何ら関わらない方がいいように私は思う。
意識して別人格にしてる人とか、ネットの自分はリアルの自分とは違う、と思っている人ほど、ネットでの人との関わり方をリアルな知人の場合と区別するわけか。まあ、それはそれで、ありだろうな。
が、だったら、メールや対面で親身なふりをして人の悩みの相談に乗ったりするなよな、と思う。(まあ、そういう見せかけの親しさに騙されないようにすればいいわけだけど。)
逆に、ネット上の自分もまさに「自分の一部」だと思うからこそ、日記を通して得られたつながりが、リアルでのつながりと同じように意味を持ってくるんだろうな。
何となくですが、「web人格」って「電話だと声のトーンが一段上がる」レベルのものではないかと思ったり。本来の自分(声)よりも少しよく見せようとしたりする辺りが。もちろん、意識して別人格であろうとつとめてる人は随分違ってくるけど、それもボイスチェンジャーみたいなものかも知れないですね。
「電話の声」もそうだけど、「相手や状況に応じて自分(の見せ方)を変える」ってのは当たり前のことで、Web人格は不特定多数の正体不明の人を文字ベースメディアで相手にするときの自分の見せ方に過ぎないと私は思います。<br>その人格の変化を「違う自分」だと思えば「ネットでの知人とリアルでの知人は別物」になるし、「自分の一部」だと思えば「ネットでの知人もリアルの知人も一緒」になるのかな?
ふむふむ、そうですね>c02<br>要はどう自分をプロデュースするかってことで、ネットアイドルみたいにばんばん自分の画像を掲載しちゃう場合もあれば、web上の名前以外のプロフィールは全くの謎の場合もあったりしますね。もっとすごいのは2chの「名無しさん」とかのヴァーチャル『BH85』状態。
ちなみに『BH85』とは数年前に日本ファンタジーノベル大賞優秀賞だった小説で、どんどん人がマージしていく話です。悲劇じゃないところが面白かった。