仕事を半日休んで、小学校の息子の学年の学習発表会を見学する。いろいろな出し物の最後は、国語の教科書にある「ちいちゃんのかげおくり」という物語だった。
戦争に行く前日、父親は子どもたちにかげおくりという遊びを教えてくれた。自分たちのかげぼうしをじっと見つめて十数えたら、空を見る。すると、かげぼうしの形がそっくり空に映って見える、そういう遊びだ。戦争中、兄と妹はしばしばこのかげおくりを楽しむ。
空襲。逃げ惑ううちに、ちいちゃんは、母とも兄ともはぐれてしまう。焼け落ちた家の跡に戻り、母や兄を待つちいちゃん。しかし結局ひとりぼっちで息を引き取る。空の花畑で、家族とかげおくりをする夢を見ながら。
この話を、総勢100名ほどの生徒たちが、出番や順序を間違えることなく、淡々と語っていく。それまでは少々ざわついていた保護者席も、このときばかりは、しーんと水を打ったように、聞き入っているのがわかる。
ところが、この日最初から、のべつまくなししゃべり続けていたわたしの斜め後ろの席の父親が、ここでもまた隣に話し掛けている。「あ、この話、知ってるよ。この子、最後死んじゃうんだよ。」
たまらず、わたしは後ろを向いて、小声で「静かにしていただけませんか?」と一言。と、男性は、「はーい」と、まるで先生に叱られた小学生のようにふてくされた返事をする。心底呆れた。
30代前半位か。身だしなみも普通。髪を伸ばして後ろで結わえているのがちょっと変わっているといえばいえるが、いまどきそういう髪型はめずらしくもない。
市民参加型の群読の舞台を観る。
核廃絶、戦争反対、反安保、という、平和を希求するメッセージ色の強いシナリオを、小学4年から年配者までの男女100名ほどが、せりふと歌で語っていく。
最初は観に行くかどうか決めかねていたのだが、熱心に練習している人たちがいることは知っていたし、昨夜も電話で誘ってもらったので、やはり、と思ってでかけた。しかしわたしのポジションは常に客席だ。
大事なことだというのはわかっているのだが、メッセージがここまでストレートだと、やはりどうもわたしは引いてしまう。これもまた、一元的な価値への傾斜のように感じられてしまうので。
とはいえ、最後の「ケサラ」(*)の合唱で、舞台上の100人の中で、一番最初にこらえきれずにぼろぼろと泣き出してしまったのが、最前列右端近くにいた、おそらくはまだ20才前と思われる茶髪のあんちゃんであることに気づき、いつのまにかわたしも一緒になって歌っていた。
(*)「ケセラ」になってるよ、というメールをいただき、直しました。さらに、歌詞にまつわる重要な情報をいただきました。Akimboさん、感謝。
いつも思い出すのは、自由のために死をえらんだ
名も知らない数多くの人たちを 決して忘れはしないさ
ケサラ ケサラ ケサラ 僕たちの人生は
平和と自由を求めて 生きていけばいいのさ