2002-05-21 [長年日記]

_ そっけない

書き方は、やっぱりよろしくなかったな。ごめん。

「辟易」しているのは、なぐさめを求めそうになる自分に対してかもしれないのだ。

で、結局、求めない。わたしはね。

_ これも遺書のうち?

考えてみたら、別にここで死亡通知を出さなくてもいいわけで、わたしが死んだら、それに気づいたわたしを直接知る数名の人が、きっとそれぞれの日記で、あの千絵さんは死んだよ、と書いてくれそうな気がする。それで十分だろう。

あとは、tDiaryの管理者がざっくりやってください。それまでずっとtDiaryで書いてるかどうかわからないけど。

_ つまり

仕事のサイトの方には、何らかの情報が載るだろうと思うので。仕事を持っている間に死ねば、ってことだけど。まあ、ぽっくりの話なので、一応そういう前提。

日記の更新が止まること自体は、どうということもない。むしろ、凝った告知は人をうろたえさせる。いや、うろたえた経験があるので。

どういう形にせよ、人に頼んで個人サイトに死亡通知を載せる、というのがいいかどうか、ずっと引っかかっていたのはそのせいだな。

_ 錯覚

なんだか、死んでないよ、と言うためだけに、ちまちま書いているような気がしてきた。

いや、なんかそれがウェブ日記の原点のような・・・。違うか。

_

に対するこだわりがなさすぎるのかなあ、わたしの場合。今の姓だって、記号としてついてる、というふうにしか感じていない。

_

いいなあ、と思いながら、ただ静かに眺めていると、ふいに人がやってきて、わたしの目の前で、がしっとそのいいものを掴んで持ち去ってしまう。

しかもよくよく考えると、そのいいものの存在を最初にその人に教えたのは、他ならぬわたし自身なのだ。教えなければよかった、と後悔しても遅い。

もちろん、わたしはきっかけを与えたにすぎず、それの良さがわかって、そして掴み取る能力があるなら、誰がそれを手に入れたっていいのだけど。

今までも何度も経験した、その同じパタンが、今また起きているような気がする。