考えてみたら、別にここで死亡通知を出さなくてもいいわけで、わたしが死んだら、それに気づいたわたしを直接知る数名の人が、きっとそれぞれの日記で、あの千絵さんは死んだよ、と書いてくれそうな気がする。それで十分だろう。
あとは、tDiaryの管理者がざっくりやってください。それまでずっとtDiaryで書いてるかどうかわからないけど。
仕事のサイトの方には、何らかの情報が載るだろうと思うので。仕事を持っている間に死ねば、ってことだけど。まあ、ぽっくりの話なので、一応そういう前提。
日記の更新が止まること自体は、どうということもない。むしろ、凝った告知は人をうろたえさせる。いや、うろたえた経験があるので。
どういう形にせよ、人に頼んで個人サイトに死亡通知を載せる、というのがいいかどうか、ずっと引っかかっていたのはそのせいだな。
に対するこだわりがなさすぎるのかなあ、わたしの場合。今の姓だって、記号としてついてる、というふうにしか感じていない。
いいなあ、と思いながら、ただ静かに眺めていると、ふいに人がやってきて、わたしの目の前で、がしっとそのいいものを掴んで持ち去ってしまう。
しかもよくよく考えると、そのいいものの存在を最初にその人に教えたのは、他ならぬわたし自身なのだ。教えなければよかった、と後悔しても遅い。
もちろん、わたしはきっかけを与えたにすぎず、それの良さがわかって、そして掴み取る能力があるなら、誰がそれを手に入れたっていいのだけど。
今までも何度も経験した、その同じパタンが、今また起きているような気がする。