最近、学生間のちょっとしたトラブルをめぐって、複数の学生や教員との間でメールのやりとりがあった。その中に、なるほど、真相はそういうことか、と思わず納得したメールがあったのだが、それをもう一度読み直そうとして探したら、みつからない。
出張直前から出張中にかけての慌しい中でのやりとりだったので、誤って消してしまったのだろうか? それともあれは、メールを読みながらあれこれ考えた際の、わたしの解釈だったのだろうか? はたまた、そういうメールを読んだという夢でも見たのだろうか?
いろんなことが同時並行的に進行するので、こういう混乱が起きる。でも、具体的な言い回しも覚えており、確かに読んだという現実感があるので、もう一度落ち着いて確認しよう。
メールはみつかった。それは、トラブルの渦中にいる学生がある教員に宛てたメールで、その教員が返信する際、学生からのメールを丸ごと引用してBCC:にしてくれたので、わたしも読むことができたのだ。
同じ学生から、ほぼ同様の文面のメールをわたしも受け取ったのだが、両者は、よく比較すると微妙に違う。わたしに対しては、彼は自分の弱みを隠しており、言わば、男同士の会話にあると思われる本音が出ていない。逆にわたし宛てのメールには、学生の、わたしに対する気遣いとも、あるいは、媚びともとれるものが感じ取れる。
距離感というのは、こういうところに現われる。それをどうこうすることはできないが、距離がある、という事実が、ある。そのことを、よく覚えておこう。