朝印刷室にいると、同僚が通りかかって声をかけてくる。彼女とは同年入職でしかも同い年ということもあるのだが、それ以上に、組織の政治的なあれこれについて怒りを感じるところが一致する、という点でお互いに信頼感を持っている。仕事上の接点は薄くなってしまったのだが、それでも、ここぞという時に助け合う関係は続いていた。
お互いに講義前の慌しい時間。いつもなら、「また今度ゆっくり」という挨拶程度で終わるところだが、彼女が、「今忙しいよねえ、でもちょっと話が。」というので、何だろう?と思う。「一度ゆっくり話したいと言っていながら、なかなかそれができなくて、今になっちゃったんだけど、実は大学移ることになったの。」彼女は教養の語学担当なので、動く可能性はもともと高いと思っていたのだが、本人はあまりそういう希望を口にしていなかったので、ちょっと意外だった。
「同じような私立だし、移ってもやっぱり教養だから、そんなに変わらないんだけどね。」と言うが、大学名を聞いて、今よりは仕事がしやすそうだな、と思う。
「よかったじゃない、動けるときに動くのがいいよ。でも、淋しくなるな。」と言う。「ごめんね、忙しい時に。でも、他からあなたの耳に入るよりは、と思って。」最後は、「また今度ゆっくり」といつものせりふで別れる。
案の定、その日の夕方、廊下の向こうからこちらに歩いてくるある男性教員が、にやにやしながらわたしに近づいてくるなり、「**先生、やめるんだってね。知ってた?」とわたしに言ってくる。「ええ、そうだそうですね。」と普通に答えるわたし。「なんだ、知ってたのか。」とでもいうような、ぽかんとし顔をさっさと置き去りにして行き過ぎる。