2003-02-01 [長年日記]

_ 腹を括れ

異なる学問領域を融合させる、ということは、表面上の面白さとは裏腹に、大きな危険性をはらんでいる。まったく異なる文化や慣習を持つ者どうしが、手を組み、理解しあい、新しいものを生み出していくのは、並大抵のことではない。そのことの覚悟があったのか、なかったから悲劇を生んだのではないか、そう問いかけたいと思い、さらにその悲劇を繰り返してはいけない、と伝えたいと思った。しかし、わたしのことばで同僚たちに、それを理解させるのは難しいことがわかっていたので、一計を案じる。

おそらくこの人ならきっと、何が問題なのか、どこを変えなければいけないのか、それを教えてくれるはずだ、とわたしが白羽の矢を立てた人に、学部長を含む同僚たちを引き合わせる。目先をとりつくろうことではなく、根本的に教育の方針やカリキュラムそのものを見直すための手がかりが、そこから得られるはずだ、と彼らを説得して、わたしはその対面を実現した。ある意味これはわたしの賭けだった。

今後どれほどの効果が出てくるかは、まだわからない。が、インパクトはあったと思う。同僚たちが安易に当てにした異文化が、学び方も教え方も違う、まったく異なる価値観を持つ世界であり、そういう異文化と融合することは一筋縄ではいかないのだ、ということが、実感としてわかってもらえたのではないかと思う。もちろん、その融合がうまくいけば、それはもちろん有意義なことであり、そのためにも、まずはわれわれが腹を括らねばならない、とその人ははっきり言ってくれた。

わたしが感謝したいのは、その人が、初めて会ってからまだ1年半かそこいらで、その後も2度ほど会ったにすぎず、したがって特に親しかったわけでもないし、詳しい相談をしたわけでもないのに、わたしが送ったただ1本のメールだけで、なぜわたしがその人を頼ったか、同僚をその人に引き合わせたかったか、その意図を見事なまでに察知してくれて、何の打ち合わせも無いのに、わたしが同僚たちにわかってほしいと思っていたことを、いやそれ以上のことを、的確に、また説得力をもって話してくれたことだ。

そしてもともとは、わたし自身が、わずかな機会から確実に、その人によって、自分の価値観や枠組みを叩きのめされ、新しい見方や考え方を教えられていたこと、そのことを再確認することができた。

「ここまでしていただけるとは、本当のところ思っていませんでした。思い切ってお願いして、ここに来たかいがありました。」途中、たまたま同僚たちがいない一瞬をとらえて、わたしはその人に直接、短いが正直に感謝の気持ちを伝えた。