hirikaさんの、「忘れていいよ」を読んで、それとはまったく無関係なんだけど、ここに最後の言葉を置いておく。
今わたしが心から叫びたいのは、「どうか、忘れてください」ということ。
ずんずか生きていくなんてこと、わたしにできるわけがない。でもよろよろしながらでも、わたしは生きていく。そんなわたしのことは、ほっといてほしい。
ここではない別のところに、実在するわたしに一番近いところに、この2週間毎日べたべたと視線を貼り付ける、その意図は何?
何か伝えたいことがあるのなら、(それがもし、わたしに対する怒りであっても、いや、もしそうならなおのこと)対話という方法があるのに、そうはしないで、ただただ視線だけを送りつけるのはなぜ?
「気に障る」のなら、見ないことだ。わたしは見失った。対話ができないのなら、関わらないことだ。
だから、わたしのことを、わたしのことばの存在そのものを、どうか、忘れてください。
昨夜、なぐるように書いた文章を、少しだけ書き直した。
まったく見るな、と言うことはできないし、言うつもりもない。でも、意図的で頻繁な視線は、かつてそうだったように、わたしの神経を参らせる。わたしを弱らせることが目的なら、今回も見事に成功している。
でも今は、どんなに神経が弱り切ったとしても、自力で歩いていくための最後の力だけは残しておく。
だから、無意味なことはやめて欲しい。