早朝、息子がごそごそとわたしのふとんにもぐりこんでくる。あ、今朝はちょっと冷え込んだな、というのが、それでわかる。
私「あったかい?」
息子「うん。ありがたや、ありがたや。」
こんなことで、息子にありがたがってもらえるえるこちらが、ありがたや。
これから缶詰業務につき、ちともろもろの件、滞ると思われ・・・
わたしは、あのさ、ご自由にどうぞ、なんです。なんでも。読みたいように、読みたくないように、やってください。
書き直すと思う、と書いたけど、早くも、リンクもらってたので、そのままに。
ということは、「明日も見たいな」と思われたということであろうか。「いったいどこいらあたりが?」と、ちょいと投げてみる。
よるねこさんのツッコミを受けて、書き始めたのだけど、うまくいかない。
・・・ので、やめました。つまり、説明することを、やはり、放棄した。
わたしがぽっと置いてみたことばに、何かしら引っかりを感じられたら、そこから何かをご自分で探っていただけばいいわけで。例えば、こういうふうに。
いや、たぶん、よるねこさんは、ご自分で探っておられて、別にわたしに説明を求められたわけじゃないのだろうな。
つまり、話す場合は、今そこにいるあなたにわかってもらおうとして話すのだけど、書く場合は、今そこにいるあなたにわかってもらえなくても、それはそれでいい。・・・とまあ、それくらいの距離感で書こうと思えば書けるんだから、そういうふうに書く(書かない)のでも、いいんじゃない?
ってなふうに、結局、書いてみた。
hauN(はうン)についてですが、以下のような理解は正しいでしょうか?求むツッコミ。
初期は「北海道日記者集会」が中核であったが、はうン本の発行によって裾野を広げ(つまり、日記書きだけじゃなくなり)、さらに、北海道と東京に拠点が分散し、hauN-MLやオフ会、hauNサーバの設置によって新たなメンバーが増え、もはやhaun.orgやMLのメンバーでさえ、hauNの全体像はわからないくらい、その実体はつかみどころがない、「謎」な集団である。
なげーな。ま、いいか。で、結局、実体というようなものはない、という理解がよいみたいですね。きわめてネット的な拡大、発展のしかたを見る思いがします。
hauNというのは、何か特定の日記システムの開発と結びつくグループだったのでしょうか?どうもそうではないように見えるのですが、どうなんだろう?
例えば、tDiaryの場合は、tDiaryというシステムの開発をしたり、それに協力してきた人々が集団を構成している(最近は、わたしのように、単なるちゃっかりユーザも末端にいますが)という理解ができますが。
>#p05 それはちょうど木霊のようなもの? 水の波紋のようなもの? 交差すると緩衝してきれいな波紋だけれどもね。<br> わたしの恋は水のなかにある夕日のかお、<br> わたしの恋は真夜中のおちばのおもい、<br> ことばも こえも かげもなく<br>のようです。まるで。
>#p06,#p07<br>http://fulufuru.haun.org/nikki.pl/1999/01/12.html#06<br>にはうンの概要があります。<br>北海道と東京に分散したように見えたのは、北海道にいたメンバーが就職によって東京に多く集まったためです。<br><br>あと日記システムよりは、更新時刻取得エージェント(べんりくんにはじまり朝日奈アンテナ等)によって「人脈が増えた」といったほうが正しいと思います。
><br>人脈が増えたとは言わないですねぇ。人脈が広がったに訂正。