2002-05-28 [長年日記]

_ いつか晴れて

想像もしていなかった返信の手紙をもらう。

「私は5月から**小学校の講師として勤めはじめましたが、たった2日で、この仕事を辞しました。5月6日早朝、夫が緊急入院し、半月経た今も、歩行もままならぬ厳しい病状ですが、あせらずに、気長に付き合っていこうと覚悟を決めました。」

娘への返事には触れられていなかった、ほんの短い別離の間の、人生の転変を知る。想像するに、脳溢血か何かであろうか。もしそうなら、後遺症の程度も、まだつかめない時期だろう。

手紙は、「いつか晴れて、ご家族の皆さんを鎌倉へご案内できたらと願っています。」と結ばれていた。

教員生活を終えて、鎌倉でのんびり暮らすつもりだった、とその方は言っていたのだが、定年後も請われて仕事をされて、結局穏やかな生活は遠のいていった。

「いつか晴れて」ということばに本来続くべき深い想いがあるのだろうと、こちらも想いをめぐらしながら、何度も手紙を読み直す。

_ ログ

うう、見てたはずなのに。。。気づくの遅くてごめん。

エンピツの方はだいぶ前に削除したんだけど、ログは置いてあります。エンピツのレイアウトそのまんまなので、こういうの許されるかどうかわからないんだけど。

例えば、10月分はここ。日付ごとのアンカーはないので、10日分まで手動でスクロールするか、適切なキーワードで検索してくださいな。

「拝む」ような文章じゃぁありませんが、同じ人間とは思えないほど、違いますね。まあ、tDiaryに移って、軽くしようと考えた意図は成功した、という見方もできますが。

最近じゃ、ほとんど空気のごとく軽くなってきたので、そのうち本当に消えるかも。

_ もう何色だか

例の(といっても、暗号のような)赤白青問題は、やはりわたしを押しつぶす。覚悟を決めた時点で、わたし自身はある程度吹っ切れたつもりだったが、それでは根本的な解決にはならないことを思い知る。

結局、赤問題の会議に出て、そのあと、白問題の会議に遅れて出る。展開しそうだった状況があっけなく霧散し、究極の決断を迫られなくなった分、どちらからも抜けられない状況が続くことになった。