2002-06-28 [長年日記]

_ 切れ

金曜日は早起きの日で、すでに職場にいる。曜日ごとに行動パタンが異なる、というのも、仕事柄ですな。

こういう生活パタンのせいかどうかはわからないが、ずっと疲労が蓄積していて、頭の切れが悪い。ことばの切れもよくないな、と、ツッコミへの切り返しがいまいちで、自覚。

「クレタ人は嘘つきだ」、というのをクレタ人以外の人が言えば論理的に破綻しない。「**人は、とひとくくりにするのは日本人の悪い癖だ」というのも、日本人が言う限りにおいては、論理的に破綻しない。とそこまで考えて、あと一言が浮かばないのよね。だから、自分で突っ込めなかった次第。

_ 吹っ切る

人は、人生のうちに何度か、腹をくくることがあるんだろうな。今回はまったく誰にも相談せずに自分で決めたことなので、答えがどう出ようと自分で責任をとる。予想される結果は3通りほどあるのだが、どれに転んでも、わたしの気持ちは整理できている。悔いはない。覚悟を実行して、清清しい。

_ 昔話

わたしにはいくつか、絶対に忘れることのできない失敗があって、ことあるごとにそれらを思い出す。「日本人の悪い癖」は、そのうちのひとつと結びついている。

大学に入りたてくらいの頃だったと思うんだけど、海外、といっても確かアメリカとイギリス、ドイツ、オランダの人たちと話をする機会があって、お題は社会問題。当時ディベートネタとしてはやっていた安楽死の話が出て、わたしが、「で、ヨーロッパでは安楽死についてどんな意見が多いんですか?」と質問したのだ。

するとオランダ人の男性が、いきなりわたしの方をきっとにらんで、「自分はヨーロッパの人がどう考えているかなんて知らない。オランダのことしか答えられない。」と、挑むように早口で言ってきて、わたしはへどもどへどもど。

ひとりひとりの存在を見ないで、簡単にひとくくりにすることが、どんなに相手の自尊心を傷つけるか、そのとき痛いほどわかった。そしてその後、そういうふうに無神経に相手をひとくくりにしてしまう愚かさが、日本という国の地理や歴史に根ざしていることを理解するにつれ、自分の犯した間違いの恥ずかしさに身が縮む思いがつのったものだ。

だから、自戒を込めて、「日本人の悪い癖」なのです。

_ 時々

わたしはわたしよ、と言いながら、それでも時々、自分が、どうしようもなく日本人であることから逃れられないし、どうしようもなくアカデミズムの上にあぐらをかいていることに気づくし、そして、どうしようもなく女であることを認めざるをえなくなる。転げ落ちそうになる瀬戸際で、こらえる。

本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]
_ 富樫 (2002-06-29 00:46)

先日、お見合い相手から「君たちの年代の結婚観ってどうよ」と聞かれた女性の話が書いてありました。相互理解のためとはいえ、「私たちの年代の結婚観」なんて知らないし、個人差が大きいことをこの男の人は分からないのだろうなぁ、とふと思いました。
私の中では、私の生まれ育った国が日本だから/この都市だから/この都市のこの時代だから、という部分もありますが、家庭環境が「日本のこの町で育ったレギュレーション」とは大きく異なっているためか同年代の思想の中心部からずれてしまった部分も大きいと感じます。遠く離れた他者としての同年代の同性は「多分こう」と言えても、それが私の考えだとは言えないことも多く。
「じゃあ日本人として東洋人として女性としてどうよ」
と言われたら、何も言うことはないので席を立たせて戴きますと言ってしまいます。
グロスで扱われたことで腹が立つ前に、ああもういいです、ごめんなさい、と離脱してしまうのは、「日本人的」なのかもしれません。

_ dd (2002-06-29 08:14)

多分、「ひとくくり」の扱いを自分に対して向けられると、人は非常に敏感にその理不尽さに気づき、ことばを失うのでしょうね。「わたしは・・・」で始められない語りは、人を疎外する。
一方、同じ「ひとくくり」を人は無神経に他者に向けてしまう。相手の「わたし」を疎外してしまったことに気づきもせず。
やはりあのオランダの男性のように、きっとにらんで、相手にその間違いを気づかせることは大事でしょう。「日本人」も。

_ dd (2002-06-29 08:31)

そして、その、きっとにらまれたときに、「にらむ顔が怖い」とか、「まあまあそうかりかりせずに」などと、見当違いな穏やかさをふりまくのも「日本人的」だったりします。