京都の午後は、(ご推察の通り)この季節ならやはり桜だろう、というわけで、そして、京都で最初に咲き始める桜の名所といったら、やはり醍醐寺だろう、ということで行ってきた。実は、市営地下鉄を終点まで乗ってみたかったから、という理由もあるのだけど。
で、醍醐寺の桜ですが、正面の桜並木はまだつぼみ。駄目かぁ、と思いながら、三宝院を目指すと、有名な老木は二分ないし三分ほど咲き始めていて、片鱗を味わえる程度。ゆっくり三宝院の中を回ったあと、出口の脇にある庭園にふっと足を踏み入れてみると、なんとそこはあっと息を飲むほぼ満開の桜。芝生を取り巻くように、支柱に枝を支えられた老木が2本と、他に5,6本。不思議なことに、そこだけがまるで数日後の未来に飛んだかのよう。
帰り道は東山で降りて、円山公園や八坂神社も歩いてみたけれど、やはり桜は大方つぼみで、わずかに木によって開き初めていた程度。その後、四条通りを四条烏丸までぶらぶら歩いた。一方的に桜に恋して、ちょっとだけその恋が叶って、でもそれはほんの一瞬で終わった、そんな京都の休日だった。
娘の小学校の状況にわたしなりに関わることにして、その後いくつか出来ることをやってみたのだが、目に見える変化は実は娘自身に現れた。
「ママ、相談ごと、あるんだけど、聞いてくれる?」と娘の方から言ってくるようになり、学校で経験したちょっとした嫌なこと、悩んだことを、以前よりずっと積極的にわたしに話すようになったのだ。おそらくそれまでは、親に心配させまいとして話さないでいたような些細なことを、話してもいいんだ、と思うようになったのだろう。裏を返せば、それまではわたしが学校のことに無頓着すぎて、子どもは親に余計なことは言ってはいけないと思っていたのかもしれない。
で、1週間前、「今日は相談ごとはないんだけど・・・」と娘が深刻そうに話し始めた時は驚いた。
「ママ、嫌なことがなかったのに、悲しいことってある?」「あるよ。ただただ悲しいことって、ママもあるよ。」
「あのね、もうすぐ、**先生(2学期途中から臨時に担任を交代した先生)が学校に来なくなっちゃうから、とても悲しい。」そう言って、娘は必死に涙をこらえている。「**先生のこと、大好きだから。」その先生は、クラスを建て直してくださっただけでなく、娘の長所をいろいろ見つけて、励ましてくださったのだ。
「ぼく、怒ってないのに、なんでだか口がとんがっちゃう。」「泣くのを我慢してるから、口がへの字になっちゃうのよ。我慢しないで泣いていいんだよ。」
昨日娘が持って帰って来た通信簿は、その**先生が記入したもので、娘のよいところを高く買ってくださったことがよくわかる文面だった。いろいろあったクラスだが、おそらく娘にとっては、短い期間であってもこの先生に出会えたことがとても大切な意味を持つだろう。
ちょっと前にきゅさんが、ツッコミはしないけど読んでますよ、というメッセージを書いてくださって、有難いやら申し訳ないやら。ツッコミ機能のあるtDiaryに移って、ツッコミ歓迎なんて書いたので、余計なプレッシャーを与えてしまったかも。
ツッコミ入れていただくことで、わたしの日記が「正座しないで」読めるものになるといいかも、と思ったのだけど、実際はあまり変化なし。あえて不特定な人々に向けて書く意味があること、という方向で書いていると、どうしてもこうなっちゃうみたいなのよね。
さてと、いろいろと「お試し」する意味ももうそろそろなくなるし、そのあとはどんなふうに書くかなあ。だいたい自分ではスタイルがわかっているんだけど、それに向けての軌道修正をぼちぼちと。
昨日の日記の「嫉妬」は、多重の意味を含んでいる。わたしには到底不可能な純粋な志向に圧倒されたことでもあり、自分でも自覚している空洞の再確認でもあり、わたしには書けないことを書いてしまう人への驚きでもあり、わたしが見たいと思っても見えないものを見ている人への羨望でもある。これじゃ、かえってわけがわからないか。自分にしかわからない書き方をする、というのが、上で書いた軌道修正であったりする。
初め「24日の日記はありません」というページに跳んでちょっと驚きつつ。<br>「嫉妬」には最初、突っ込みを入れようかなぁ、と思ったんですよ。でも、迷ったんです。それで結局、次に書かれる言葉を待ってみることにしました。<br>で。……うーん。隣の芝は青く見えるものじゃないでしょうか。おわかりだとは思いますが。
えと、24日を非表示にしたのは、日付が変わっていることに気づかずに24日で登録してしまったからなんですよ。明日書くことはもう決まっているから日付をとっておきたかったので、23日に登録し直したのよね。<br>隣の芝か。ふむ。いや、文字通りの「嫉妬」も含まれているので、何ともいえないなあ。自分がこんなに「嫉妬」深いとは、思っていなかったので、とまどっているのですよ。「わたしだけを見て」と、なりふり構わず言えたら楽なのにね。
え〜、私も嫉妬しています。他ならぬ千絵さんの文章に。<br> 「よく、こういう風にうまく書けるものだ」と、いつもいつも思ってますよ。
「うまく」書けてるのかなあ。わからない。「うまく」書こうという意識はあまりないんですよ。「読みやすく」とか、逆にわざと「読みにくく」とかいうのはあるんだけどね。あとは、内容に見合った程度に短めに、かな。<br>わたしの「嫉妬」は、文章より、内容に対してかもしれないし、もっと人間そのものに対してかもしれない。
なーんかこう、かるーくツッコミ入れてもらったのに、正面切ってまともに返してしまった自分に、どっと疲れてしまった。ごめん。
あ、ども、なんか気を遣わせてしまったみたいで、すいません。<br>と、初ツッコミ。ドキドキ・・・。
あはは、おやおや、気を遣ってるのはお互い様だったりして。<br>ま、ツッコミは、お気楽に。いや、それなりに、かな?いや、無理せずに。うーん、というか、するもしないも自由ですんで。<br>21日付けの「受け止める自由を制限しない」(http://www.club-siesta.com/northside/2002/03/21restrict.html)は、いいですね。わたしもそういう感じで書きたい、と思いましたね。<br>そういえば、ボンベイサファイア試されたようで。わたしは癖になるのが怖くて、2本目は買えずにいるんですが。
いえ、そういう真面目さも、千絵さんの良さだと思いますが。<br> 千絵さんの文章、情景描写が客観的でしっかりしていて、よく伝わると思います。報告書等、仕事でずいぶんお書きになっているのかな、と思っております。<br> 具体的に言うと、この間の電話のシーンが好きでした。二人の母親の会話から、立場や考え方の違い、本人の気付いていない心の情景まで彷彿してきて、何度も読み返してしまいました。って、当日に書けって。だって、正座系の話は、独身男にはちょっと重かったんだもん。
ありがとう。勢いで書いて失敗した、とあとで思った文章でも、違った受け止め方をしてくださる方もあるんですね。まさに「受け止める自由を制限しない」だな。<br>で、ドキッとしたんですが、「報告書」書かなきゃ。はううーー。これから徹夜して書き上げるか、明日朝ごめんなさいして残りを昼間書くか、今が決断の時。
寝るにかぎります。<br> 月曜日の朝にゾンビだと、一週間たたられますよ。
「わたしだけを見て」と言えたらそりゃ楽だろうけど、その後に待っていることを考えると気が重いなぁ……。傷つけ合った後でその関係が強固なものになるならいいけど、そうじゃない場合「いやん」な感じ。
「見てくれるだけでいいのよ。見るだけで。」って思うんだけど、でもそれじゃあただのわがままか。うーむ。<br>でもそれ以上の関わりも怖れない。とても大切なものならね。たとえ傷つけ合ったとしても、その後をまた模索する。決して諦めない。<br>そんなふうにしぶといのも、「嫉妬」たる所以だろうな。
いや、違うな。<br>お互いに見詰め合って、自分が相手につけた傷にも直接触れることができたらどんなにいいか、とそう思う。