幼稚園かばんを下げたお兄ちゃんより、座りたいとむずかる3才くらいのお姉ちゃんより、バギーの中にすっぽりおさまって、きげんよくこちらを見ている4ヶ月かそれくらいの赤ちゃんの方が、世の中を達観しているように見えるから不思議。大物だよ、君は。
2者関係を超えて、一気に3Pに至ると、濃密なるコミュニティの生成とみなしうる、ということか。かもなあ。確かに。
そこらあたりが、ウェブ日記が作り出す、もっともありうる「コミュニティ」であることは否定しないよ、あたしも。
戻ってきたのを見つけたよ。わたしは時々、削除された日記の跡地を訪ねてみる。もしかしたらって。
ここを見てるかどうかわからないけど。でも、わたしが読んだ同じ本のことが出てきたから、もしかしたらって。
メールにすると、あまりに直接的になってしまうので。
父親の膝の上に座る小さな女の子が、一口大にちぎってもらったカニパンを父親の手から受け取り、ひとつず口に押し込んでおいしそうに食べている。パンの固まりがすっかりなくなると、女の子は隣に座っている母親の手をとんとんたたく。母親が、腰のあたりに下げた袋をさぐって、次のカニパンのかたまりを取り出す。それを父親が受け取って、また一口大にちぎって女の子に渡す。そんな動作が繰り返される様子を、つり革につかまりながら眺めていた。
親子の足元、というか、足の後ろ側に、大きな盲導犬が静かに寝そべっているのに気づいたのは、だいぶたってからだった。
移転したし、更新報告もやめたのに、読み続けてくれていた、と知った。こちらも、素直に感動。
「世界が」とか、「社会が」とか、そういう空虚なことばに怒りさえ失っていたところだっただけに、目の前の現実に立ち向かって、少しでも前に進もうとする人の文章を再び読むことができて、こちらも力が湧いてくる。
時々、特定の誰かに話し掛けるように書くことがあるけれど、決して、他の人が読んでいることを忘れているわけじゃない。特定の人に向けて書くとしても、他の人が読んでも、自由にことばを受け止めてもらってよいように、書いている。
解釈は、自由なのです。読みたいように、読んでください。
がーーっと原稿書いていると、朝。娘が、「腹減ったー」と言いに来る。
昼食のしたくをはじめようとして、ああ、もうこりゃやばい、を感知する。
で、家族に、「食事できるまでまだ時間かかるから、30分くらい外で遊んできて」と頼み、ひとりになることに成功。
グラタンを作りながら、生卵を、思いっきり壁(というか、正しくはドア)に向けて投げつける。結局3つほどつぶして、もやもやがおさまる。
戻ってきた家族は、一瞬ぎょっとしたと思うが何も言わない。
夕方ようやく、ドアの全面にだれだれにこびりついた卵の汁を拭きにかかる。もう固まっていて、わりばしでこそげるようにしてとっていると、子ども達が自分もやる、といってふたりして手伝ってくれる。
「ママ、 これ面白いね。」ふーむ、そう言ってくれるなら、年に2回くらい、卵をぶっつけても大丈夫かな。で、ちょっとそう言ってみると、「ママ、でも、下に新聞紙ひいといた方がいいと思うよ。」ごもっとも。
カウンターに並んでビールを飲みながら大声で話す20代半ばすぎくらいの男性客ふたり。
「で、さあ、見えちゃうわけよ。見えないと思っていたのが、見えちゃうわけよ。人生の終わりがさあ。」
うむ。見えちゃったと思っても、それが本当に終わりだという証拠はないわけで。
まだ見えてない、ずっと見えないに違いない、と思っていた方がいいと思うけど。少なくともわたしはそれで行く。
白いランタンをたくさん下げたような、野生の藤。
少しだけ空に近づいた岩山で、岩の上にごろんと仰向けになってみる。岩の固さと太陽の熱を吸収した温かさが心地よい。隣で息子も同じようにごろん。思わず顔を見合わせて、「気持ちいいねえ」。
久しぶりにプール。去年の夏、息子がクロールで25m泳げるようになり、次なる目標は平泳ぎ25mということだったのだが、足のけりがいまいちながら、あっけなく距離は達成。
「これなら、夏に学校のプールが始まったら、すぐ平の25mに合格できるよ。」と私が言うと、息子が「でもその次は50mだしなあ。すぐじゃなくていいよ。」
頑張れば頑張ったで、すぐ次の目標が設定されて、また頑張らねばならなくなるのが「学校」的世界だ。わたしなどは、そういう世界に疑問を持つまでに、少し時間がかかった方だが、息子は既にそれを見抜いている。
励まして頑張らせるのが親の役割だなどと思わない方がいいな、と思う。頑張らなくっていい、自分のペースで生きよう、と思える方がずっといい。
横抱き用の抱っこひもで、どう考えても3ヶ月未満と思われる赤ちゃんを抱いて、もう一方の手には、お出かけグッズが入った大きな袋を下げた男性が、駐車場に足早に向う姿。
ティッシュ5箱入りの袋を引っ掛け、スーパーの買い物袋を載せた乳児用バギーを、片手で押しながら歩いてくる男性。もしかしてバギーは荷物専用?と疑ったが、すれ違いざま覗き込むと、ちゃんと赤ちゃんがすやすや眠っていた。
幼稚園くらいの男の子と手を繋いで歩く男性。ちょっと冷える夕方。男の子の上着のボタンが、上から下まで1個ずつずれている。教えてあげようか、と一瞬思うが、男の子の誇らしげな表情に、ボタンの掛け違いなんて些細なこと、と思いとどまる。
・・・・・・
実は、・・・のままフェイド・アウトしようかと思ったのですが、そりゃあんまりかも。
「リセット」というわけではなく、というか、細かいリセットは必要と思ったらそのつどやってきたので。
今は少し地下水のようになりたい、というような。
まあ、わかりやすく言うと、当面放置、というやつですね。
心配はご無用です。
睡眠を、削って削って、仕事をする。何のために?
結局は自分のために決まってるじゃない。
わたしが仕事にのめり込むと、不機嫌になったり、悲しがったりする人がいる、というのは、やはり苦痛だ。苦痛だが、それでも続けるのだから、それは自分のためでしかない。
理屈ではそうなる。計算上はそうなる。一般論としては正しい。だけれども、それじゃあ、答えになっていないよ。
あちらからの返信も、こちらからの返信も、受け取った意味があるとするなら、「回答する誠意はあります」という意思表示だけ。
やっぱり、一言だけでも返してもらいたかったのだなあ。自分がそう感じていることに、今になって気づく。
きっとこういうのを、「未練」というのだろう。わたしには無縁の感情だとずっと思ってきたのだが。
さてと。
わたしを繋ぎとめておきたいのなら、情に訴えるより、実利をちょうだい。
そりゃぁ、わたしもずっと一緒に仕事をしたい。君たちと。でも、向う方向がずれていては、ダメなのよ。
あとね、「働くお母さん」としての手本になる、だなんて、ばかばかしい勘違いはやめて。
すべて、仕事まわりの、うっぷんを書いています。ウェブ日記つながりとは別の世界。
放置したいと思ったのは、書けばこうなるとわかっていたから。でも書いている。たまってたまってしょうがない。
そうか、それで最近のわたしは、その記憶をしゃぶったあとのエキス(出がらし、だったりして)だけを、書いている。
出がらしなんで、スカスカ。しかし読む人によっては、エキスの香りに触発されることもある。のかな?
やはり、あなたもわたしと同じ穴に落ちた。たぶんね。
でも大丈夫。わたしには、出口のない闇ばかりの穴だけど、あなたはきっと出口をみつけられる。穏やかな柔らかい光の差し込む方向が見えるでしょ。
もがき苦しむわたしのことは放っておいていい。わたしはこの穴の底にとどまる決心をしてここにいる。あの光をわたしはつかんではいけない。その資格がない。
わたしのことを挑発しがいがあると思ったのだろう。「なぜそもそも、人はコミュニケーションするんですか?」と来た。
で、こう答えた。「自分という存在を認めてもらいたいから、人はコミュニケーションするのですよ。」
あなただって、自分の威厳を示したいから、わたしにそんな質問をしたんでしょ。とは言わなかったけど。
_ dd [うんうん。わかってる。ひとことつっこみ歓迎なのよん。(こっちこそごめんね。)]
_ Akimbo [ 私にとっては、最近ちょっと難解でした。ちょっと長めになるので、また感想と質問のメールをお送りしますね。あ、挑発的で..]
_ dd [うぃっす。お待ちしてます。 しかしなんだ、自分の書き方について、ちっとは反省しようと思う。 曖昧に書くのもほどほどに..]
_ よるねこ [出汁昆布ねこです。わぁ、褒められた>と、また喜ぶ。 男性より女性の方が、性の記憶を何度も堪能する、と言われたことがあ..]
_ dd [実はわたしも、性の記憶を何度も堪能する・・・いや、しないな。本当は男だったりして。]
森の中を、自転車で走る走る。野鳥の声に、セミの声が混ざって、驚く。まだちょっとだみごえだけど。
せせらぎ(人工的なものだけど)に素足をひたすと、流れる水が、足首の上かなりの高さまで絡まりながら通り過ぎる。しばらくそうしていると、ほてった身体が、下から冷めてくるのがわかる。とても気持ちがいい。
義理で断れない仕事を引き受けてしまう自分のアホさに愛想がつきた。
突然の会議延期を知らせるメールを、「よろしく」の一言で転送してくる神経が信じられない。
こっちはスケジュール、無理に空けたんだけどね。かああーーー。もう、切れそう。
日常がこんななんで、やっぱり当分放置。きっぱり。
おとなげない自分を反省して、消そうかと思って戻ってきたら、すでにツッコミが。。。
いえ、うれしいのです。ツッコミもらって、卵投げたみたいに、ちっとスッキリ。
放置ていうのは、そのとおり、ここのことなんだけど。つまり、こんな荒れたテキスト投げつけて、tDiaryを汚してはいかーん、ということで。うーん、とにかく、ちと頭冷やそう。
卵投げずに済みました。・・・・・当たり前か。
何だっけ、と自分でも気になったので、過去ログを見る。「40代女性の哀愁と苦悩と孤独」でした。去年の11月22日の日記の最後ね。
ついでに、その前後のログを少しばかり読み直した。うーん、あの頃のような日記は今はとても書けないなあ。
_ よるねこ [タマゴといえば海水浴での遊び。 ピンポンのヘディングで遊ぶんです。誰かがピンポンを投げて、それをヘディング。失敗した..]
_ umeya [ここを拝見して今私も見てきました。404ですね。 消えた、というより、ご自分の意志でもって消した、のでしょうか。]
_ dd [umeyaさん、混乱させてしまって、本当にごめんなさい。 まったく別のサイトです。わたしが書いたのと、umeyaさん..]
_ umeya [しかしこのやりとり見てる人は、何のことだかわからないですね。私はこれで通じたのが逆にびっくりしました。]
_ dd [うーん。わたし自身は、あんまりよくわかってないのですが(笑)。 もともとわたしの書き方がいけないんで。申し訳ない。]
わたしは仕事で帰りが遅く、主役は早々に寝てしまい、じゃあ、主役が夜中に起きてきたら、そこで誕生会をやろうか、と子ども達は張り切っていたのだが。
結局主役は疲れが溜まっていたようで、いつもより起きるのが遅く、それまでの間に子ども達は寝ついてしまい、誕生会はお流れ。
でも、仕事机の上に子ども達が用意した、カードと紙のケーキには気づいたはず。
なぜ、誰の目にも、それがその人自身のことだ、とわかるように書いてしまったのだろう、とずっと考えていた。もちろんそれは、その人が誰かにそのことを知らせたいと思ったからに違いない。
書くことで、あなたは解放されたのだろうか。
そして、今までずっと、(この閉ざされた世界で)それを知っているのはわたしだけだ、という重荷から、わたしは解放された。
「既に毎回読んで」いただいている、千絵です。(感謝。リンクなしだけど。)
「真剣にいらだっている」というやつに「いらだってる、というより、闘ってるのよん」と反応してみようか、とか、「母とか妻とかって、仕事として認めて、というより、それは役割として(お互いに)認め合うべき」とか言ってみようか、と思っていたのですが。やめた。
おい、言ってるじゃん。
もともと、コミュニケーションの場からは完全に引いたところで書かれていたので、削除は、その人のために意味のあること(必要なこと)なのだと思う。
確かに、引き金となる何かがあったことが暗示されていた。それが具体的に何なのか、わたしには知る由もない。
ただ、わたしがコンタクトをとったことが、その予期せぬ動揺を増幅させる素地になってしまったのでなければいいが、と、そこが気にかかる。
そういうことです。
まともにぶつかってくれないのかな。「敬遠」される、というのは、気持ちのよくないものだ。そもそも、大打者でもなんでもないんだし。
飲んじゃいました。「マラッカ ジン」をお探しの方々へ。
週に2,3度は通る家の前を通り過ぎようとして、はじめて気づく。そうか、白バラのアーチだったんだ。
入り口の門のところがアーチ型になっていて、緑がからまっていることは、意識のどこかでとらえていたのだが、それが何の緑なのか、気づくことも、確かめようとしたこともなかった。
大きくはない、しかし可憐な白バラがいくつも咲いていることに、今日はじめて気づく。
今までは、その隣の家の玄関先にたくさん並べられた、色とりどりの鉢植えの花々に目を奪われていたのだな。
目線をもっと上げて、視野をもっと広げて。
こどもと卓球。元気というのは、無理矢理引き出されるものらしい。
元気というのは、内側から出てこないと本物じゃない、という先入観があるけど、それは間違いだな。
行こうか行くまいか迷ったら行く。会おうか会うまいか迷ったら会う。結果たいていの場合、行った先から、会った相手から、元気をもらうことが多い。
最近またそのことを忘れそうになっていた。危ない危ない。
10代の頃観た時は、とてもばかげたストーリーだと思ったけれど、今観ると、狂うほどの恋とはこういうものだな、とわかる気がする。「恋する」というのは、とても一方的なものなのだ。見返りを求めたり、裏切りを憎んだりするのは、たぶん、自己愛の投影としての恋にすぎない。
プリマの技術や、群舞の見事さは、素人目にも素晴らしかったのだが、オーケストラボックスのないバレエというのは、やはり物足りない。生オケのバレエやオペラを子ども達に観せるタイミングというのを、そろそろ考えなければ。いや、観たいとうずうずしているのは、わたし自身なのだけど。
という方(?)がここに来られたようだけど、誰も人をなぐさめられない、というのがわたしの信条だったりします。
なぐさめられたい、と思う人に辟易するわたしも、冷たいよな。
夜中のうちに、「人生の目標 喪失」の検索語でここに来た方がいるらしい。役に立っただろうか?
ぽっくり死んだ場合のネットをどうする?みたいな話が出ていたようなので、わたしも一晩じっくり(1分ほどちょっと)考えてみた。
うーん。そもそもネット以前に、あれこれいろんな人に迷惑かけそうなことがたくさんあるので、そっちの対応が先かな。とりあえずネットは放置でもいいだろう。
「そう書いたじゃない」と言う前に、「そう書いた」部分だけをわたしが読んだだけ、と思ってみる。書いてないことや、書いたあと変わったことが多いほど、その人は生きてるってことだ。
あちらに対しても、こちらに対しても、ことばや気持ちをうまく重ね合わせていけない自分に苛立つ。何かもう一言、何かもう一歩、何かそこそこの形を、と思うけれど、どれもこれも発する前から、空回り。
結局、諦める。今は、無理みたい。
考えてみたら、別にここで死亡通知を出さなくてもいいわけで、わたしが死んだら、それに気づいたわたしを直接知る数名の人が、きっとそれぞれの日記で、あの千絵さんは死んだよ、と書いてくれそうな気がする。それで十分だろう。
あとは、tDiaryの管理者がざっくりやってください。それまでずっとtDiaryで書いてるかどうかわからないけど。
仕事のサイトの方には、何らかの情報が載るだろうと思うので。仕事を持っている間に死ねば、ってことだけど。まあ、ぽっくりの話なので、一応そういう前提。
日記の更新が止まること自体は、どうということもない。むしろ、凝った告知は人をうろたえさせる。いや、うろたえた経験があるので。
どういう形にせよ、人に頼んで個人サイトに死亡通知を載せる、というのがいいかどうか、ずっと引っかかっていたのはそのせいだな。
に対するこだわりがなさすぎるのかなあ、わたしの場合。今の姓だって、記号としてついてる、というふうにしか感じていない。
いいなあ、と思いながら、ただ静かに眺めていると、ふいに人がやってきて、わたしの目の前で、がしっとそのいいものを掴んで持ち去ってしまう。
しかもよくよく考えると、そのいいものの存在を最初にその人に教えたのは、他ならぬわたし自身なのだ。教えなければよかった、と後悔しても遅い。
もちろん、わたしはきっかけを与えたにすぎず、それの良さがわかって、そして掴み取る能力があるなら、誰がそれを手に入れたっていいのだけど。
今までも何度も経験した、その同じパタンが、今また起きているような気がする。
またしても、そっけない書き方を反省。
この問題は、わたし自身いろいろ考えたことがあるし、身近な人の立場もサポートしてきたつもりだけど、結局、同じ議論が繰り返されている間に、状況の方がどんどん変わってきたような気がする。
もうそろそろ、法律的には、個人単位で生まれてから死ぬまで同じ名前にしておいて、いっそのこと通称名の方を、思いっきり自由に設定できるようにする、なんていう案が出てきてもいいんじゃないか、と思う。
で、ちょっとまじめに考えなきゃいけないのは、子供の(法律上の)姓を決めるときくらいかな。親子で、あるいは夫婦で、(法律上の)姓が違っても何も問題はないと思う。
もし家族のまとまりを名称で示したければ、同じ通称名を使うことにすればいい。家族が解散したら、さっさと捨てられる程度の通称ファミリーネームって、どうだろうか?
やっぱり、不謹慎だと言われそうな発想かもしれないけど。
ところで、よんひゃんさんとこの掲示板でのやりとりを読み返してみて、気になったことがある。内容は別として、スレッドの最後の発言が、同じハンドルでありながら、文体が全然違うこと。
それまで、平静を装って書いていた人が、捨て台詞を吐く段階で突然口調が変わった、ということなのか。それとも、このやりとりに便乗して、(かつ、当事者がもう書かないというのを見越して)別人が同じ名前を語っていちゃもんつけにきたのか、と疑ったり。
考えすぎか?
桜並木を車で通り抜ける。葉が濃い緑になって、道全体が薄暗くなるほど深々と茂っている。
桜は、花もいいし、新緑もいいし、そうして、この深々と茂った緑もいい。もちろん、紅葉もいい。
季節ごとに違う姿を見せて、しかもそれぞれに味わいがある、というのはいいものだ。
_ よんひゃん [うーん、どうなんでしょうね>別人疑惑 実は、IP アドレスとブラウザなどの情報が、最後の書き込みだけ、それ以前のと違..]
_ dd [ふうむ。アクセスログとってあったんですね。知りたかったのですよ。やはり違うか。 どう考えたらいいかなあ。まあ、結論が..]
_ umeya [その件では私も便乗して。私の疑問は、最初tDiaryに挨拶して掲示板にも書き込んでいた人と、最後によんひゃんさんのt..]
_ dd [あのジャイアン君は、おそらく、まったく無関係な第三者による、和み系茶々入れであろう、というのがわたしの受け止め方です..]
_ umeya [>c04 あ、やはり? ddさんもそう思われましたか。私の推測でも同意見です。]
久しぶりに、自分の内側から力が湧いてくる感覚。できればこのまま、いくつかの結果を出すまで、持続させたいと思う。
月曜日の朝。いつものように、駐車場まで国道沿いの道を歩く。横の道から、自転車を押してくる男性。前かごに、2,3才くらいの男の子。一緒に歩いてきた女性が手を振って、交差点で別方向へ歩き出す。少し先のビルに入っていったから、そこが職場なのだろう。
自転車の方は、信号が変わると同時に、男性が力強くこいで、国道をわたっていった。後ろにもかごがあって、そこには大きな布製の袋。ああ、保育園のおふとんのシーツ交換だな。
今日は電車の日。駅までの道を歩いていると、また別の親子。やはり自転車を押しているのは男性。後ろに子供用の座席があって、年中さんくらいの女の子。その女の子と手をつないで、女性が横を歩いている。
駅まで来て、ばいばいと手を振って女性の方が駅に入っていった。そこから男性は自転車をこぎはじめ、あっという間に姿が小さくなっていく。
週に2度もこういう光景を見ると、なんか、いい。
考えた末に、あとから連絡がきた方の会議を欠席する旨、理由を書いて返信する。すぐまたメールが来て、どうしても出られませんか?大事な会議ですけど、という。
わかっている。わかっているよ。だけど、もうひとつの方も大事なのよ。状況次第では、自分の身の振り方をまた考え直さなきゃならない。あらためて、理解を求める文章を書いて返信する。
そりゃあ、赤組は赤組が大事、白組は白組は大事。わたしは、赤と白、両方引き受けている。ずたずた。
想像もしていなかった返信の手紙をもらう。
「私は5月から**小学校の講師として勤めはじめましたが、たった2日で、この仕事を辞しました。5月6日早朝、夫が緊急入院し、半月経た今も、歩行もままならぬ厳しい病状ですが、あせらずに、気長に付き合っていこうと覚悟を決めました。」
娘への返事には触れられていなかった、ほんの短い別離の間の、人生の転変を知る。想像するに、脳溢血か何かであろうか。もしそうなら、後遺症の程度も、まだつかめない時期だろう。
手紙は、「いつか晴れて、ご家族の皆さんを鎌倉へご案内できたらと願っています。」と結ばれていた。
教員生活を終えて、鎌倉でのんびり暮らすつもりだった、とその方は言っていたのだが、定年後も請われて仕事をされて、結局穏やかな生活は遠のいていった。
「いつか晴れて」ということばに本来続くべき深い想いがあるのだろうと、こちらも想いをめぐらしながら、何度も手紙を読み直す。
テーマをajisaiにしたいなあ、という、ただそれだけのために、タイトルリストをとっぱらってしまった。
放置すると、リファラーが3桁になってしまったりするのがちと、という、ただそれだけの理由で、更新してみた。
今日もまた、とてつもなくいろいろなことがあった一日だったが、記憶に残るのは、さきほど、暗がりの中にぼおっと浮かんで見えた、無数の天使の頭を飾る冠のような、白い、がくあじさい。
こっちの方がわたしに合ってるのだかどうだか。
自分では、以前のように、少しまとまった量を書く方が自分らしいと思っている。
何が言いたいのか、どういう表現がふさわしいのか、書きながら模索し、書き上げたときに、ああ、そうか、こういうふうに書きたかったんだな、とわかる、そういう文章の書き方が好きなので。
今は仕事が忙しすぎて、そういう書き方をするゆとりがない。まあ、これはこれでいいと思っているけど。
ようやっと、ご報告(いや、お問い合わせ、くらいかな)できそうなところまで来た、と思って、近況を確認しようと日記を見たら、がーん。
理由は明日書きますって、明日は今日で、その今日はもうあと少しで終わりだから、理由がわかるのはいつになるやら。
うーん、こちらも一部書き直すべきか。遅らせちゃいけない仕事だとはわかっていたのだが、二足のわらじ状態がもろきつく、遅れるとやはりこういうことになる。焦ろう。
Before...
_ dd [あっはっは。実は、ゆで卵も試したんだけどね。 ぶつけた瞬間のすっきり感が違います。生卵は。 (ただし、食べ物を粗末に..]
_ NOB [ヤバイ、が感知できると大分違いますよね....]
_ dd [長年の経験かな。対処法も。]
_ よるねこ [我が家は家族揃って、投げるのは欠けた食器です。茶碗が効果的みたい。 決めごとではないのだけれど。私はまだ1回しか割っ..]
_ dd [なんとなく、こたつに家族が入って、みかん食べながら、上空を茶碗が飛び交ってる図を想像してしまった。「家族揃って」の連..]